日本昔話に隠されている、引き寄せの法則の話

引き寄せ・気づき

― 花咲かじいさん・こぶとりじいさん・舌切り雀 ―

日本昔話は、子どもの頃に当たり前のように聞いていたのに、

大人になるにつれて「作り話」「空想の世界」だと思われがちです。

花咲かじいさんで、灰をまいたら花が咲く。

こぶとりじいさんで、踊ったらこぶが取れる。

舌切り雀で、宝物をもらう。

どれも現代の感覚では、少し不思議に感じます。

ですが私は、

これらの話は超常現象を描いたものではないと考えています。

むしろ、

人の心の状態が、どのように現実に表れるのかを

とても分かりやすく表現した話です。

花咲かじいさんが伝えていること

花咲かじいさんでは、

やさしいおじいさんと、欲張りなおじいさんが

ほぼ同じ行動をします。

犬の言う通りに掘る。

臼を作る。

灰をまく。

行動は同じなのに、

結果だけが正反対になります。

ここで重要なのは、

「善人だから報われた」「悪人だから罰が当たった」

という単純な道徳の話ではない、という点です。

違っていたのは、心の状態です。

やさしいおじいさんは、

焦らず、疑わず、結果を取りに行っていません。

一方で、欲張りなおじいさんは、

「同じことをすれば得をする」と

結果を先に見て行動しています。

引き寄せの法則で言えば、

これは整っている状態と

ズレている状態の違いです。

「花が咲いた」というのは、

奇跡ではなく、

流れが整った結果が表に出た象徴だと考えられます。

こぶとりじいさんが教えてくれること

こぶとりじいさんでも、

同じ構造が見られます。

やさしいおじいさんは、

うまくやろうとせず、

評価されようともせず、

ただ楽しく踊りました。

すると、こぶが取れます。

それを見た別のおじいさんは、

同じことをすれば自分も得ができると考え、

無理に真似をします。

結果は逆でした。

この話のポイントは、

力を抜いていたかどうかです。

引き寄せの法則では、

焦りや緊張、不安は

流れを止めると言われます。

安心している時、

楽しいと感じている時、

無理をしていない時。

その状態の時に、

現実は自然に動きやすくなります。

こぶが取れたというのも、

心がゆるんだ結果が

表に現れただけなのです。

舌切り雀が示す「足りている感覚」

舌切り雀の話でも、

受け取る量に違いが出ます。

やさしいおじいさんは、

雀を心配し、

見返りを求めませんでした。

だから、

必要な分だけを受け取ります。

一方で、

欲張ったおばあさんは、

「もっと欲しい」という気持ちから

大きなつづらを選びます。

そして失敗します。

この違いは、

足りていると感じているかどうかです。

引き寄せの法則では、

「足りない」と感じている状態では、

何を受け取っても

満たされないと考えられています。

舌切り雀は、

満たされている人は、自然とちょうどいいものを受け取る

ということを伝えています。

三つの昔話に共通するもの

花咲かじいさん。

こぶとりじいさん。

舌切り雀。

この三つに共通しているのは、

  • 結果を取りに行っていない
  • 他人と比べていない
  • 焦っていない

という点です。

うまくいかない側は、

すべて「結果」を先に見て、

欲や不安から行動しています。

引き寄せの法則や、

エイブラハムが語る感覚も、

本質は同じです。

特別な能力の話ではありません。

自分の感覚を無視せず、

心の状態を整えて生きているかどうか。

それだけの違いです。

日本昔話が今も残っている理由

日本昔話は、

空想の話だから残ったのではありません。

人の心と現実の関係を、

一番やさしい形で伝えているから

今も語り継がれています。

花が咲く。

こぶが取れる。

宝を受け取る。

それはすべて、

引き寄せられていたものが

見える形になっただけ。

この話は、

特別な誰かの話ではなく、

私たち全員の話なのだと思います。

最後に

特別な力を身につけなくてもいい。ただ、自分の感覚を無視せずに生きること。

それだけで現実は静かに動き始めます。

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